第七チャクラが開かれたおはなし
まさかと思った。
もう10年以上の付き合いになる方から、
「チャクラ」という言葉が出た。
うすうすは思っていたんだよね。
この方はきっと大いなる何かとつながっていらっしゃる。
と書くと、変な宗教のような感じに聞こえるかもしれない。
私たち人間は全部、例えば宇宙だとか時間だとか、
一般に私たちの目にはみえないけれどあるなにかとつながっているものだ、
と私は思っている。
だから、大いなる何かとつながることは、特別なものではない、はず。
ただ、この手の話をするには、人を選ぶ。
全く信じない人からすると、ちょっとこんなことが話に出ると
それを全拒否される場合がある。
そこで関係が切れることもあるから、なかなか言えない。
スピリチュアルという言葉にも、抵抗がある人が多いですよね。
いい説明をしてるサイトがあったので、拾って来ました。
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スピリチュアルって多義的な言葉で、
独特な受け取り方をされています。
例えばこんな意味で使われています。
オカルト
霊、霊的体験、お化け
不思議な現象
宗教
占いの一種
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これ、わかりやすいと思う。
スピに抵抗がある人は、こういうのを信じない!って方がほとんどじゃないかな。
後、これらを商売にしている方が多いので、ぼられたとか
そういう方々が必ずしも人間として性格がいいとは限らないので笑
痛い目にあったとか。
(ええ、私もその経験があります、何度か。)
難しいなあと思いつつ、
私は一通りスピ系は経験してきたという自負があるので、
スピリチュアルが
上に書いてあるようなものではないことはわかっている。
でもそう思っている人も多いので、
まあ広義のスピリチュアルの一部だと思えばいいんじゃないかな。
先ほど引用した文の後の方に書いてある言葉が、
私の思っていることと大体合うので、引用させてもらおう。
「スピリット」も英語の辞書を調べてみると
「生体に命を与える原理」
(an animating or vital principle held to give life to physical organisms)
https://www.merriam-webster.com/dictionary/spiritが挙がっています。
肉体だけでは動かない。
身体が動くためには、何か他の原理が必要だ。その動かす原理がスピリットだ、というのです。
肉体にスピリットという命、生命力が流れ込んでいるから、僕たちは生きている。
その意味では、スピリットは僕たちの「本質」です。
自分の「本質」が、単なる肉体ではなく、
永遠のスピリットであること。「スピリット」が、僕たちの本質なのです。
「スピリット」とは「命そのもの」であり、
生きるエネルギーのことです。
僕たちが肉体を持って生きているのも、
「スピリット」という生命エネルギーが
僕たちの肉体に流れ込んでいるからです。僕たちは肉体だけじゃない。
肉体はないけれど、別の自分もいる。
それが「スピリット」。こういうことに気づいているのが
スピリチュアルであることです。そして、机上の知識ではなく、
実際に肉体を持った自分が
スピリットとともにあることです
「自分の意思=スピリットの意思」だと知り
自分を尊重する。自分=スピリットという聖なる存在
であることを知り、自分を愛する。そして、スピリットとともにあるとき
宝箱が勝手にあいて、
そのなかから出てくるギフト・出来事を
喜び、楽しむ。
言葉だけだと、どこまで伝わるのかわからないけど、
私はさっき書いた通り一通りこの手の道を通ってきたもので、
今、この文章を読んで非常にしっくりくる。
「自分には何か大きな存在があり、
自分を大事に、自分を尊重している人は
大いにスピリチュアルだといえます」とこの方は書いてあるけど、
まさにと思います。そういう意味の「大きな存在」ですね。
長くなってしまったけど、
その10年以上のお付き合いのある方の話に戻る。
彼が若い頃、大きな事故にあい、死ぬかもと思ったけど死ななかった、
という話を聞いたことがある。
そこで、生きるとはということをとても考えるようになった、
ということも言われていたと記憶している。
彼は話す時に、手のひらを上にして何かを感じるようにしながら、
ゆっくりと話されることがあって、
彼の話は、もちろん彼の知識から出てくる言葉なのだが、
今目の前にいる私に、適切な言葉を自然と選んでくれているような感覚がある。
私は彼のことをとても信頼しているので、
自分の体調のことも、少し悩んだりしていることも話したりしている。
先日も、「体調どうよ」みたいな話から、
私は、「自分の体が敏感なので、気候やちょっとした変化に波を感じてしまう、
このことについては諦めたというか、もうそんなもんだから仕方ない。
そういう自分で生きていくしかないという、受容みたいなことはできるようになった」というような話をした。
その方は笑って「悟ったんですね」といった。
悟ったかどうかはわからないけど、自分の体についてはそういう性分なのでつきあっていくしかないことは理解できたし、そのことについてはあまり深く悩むこともなくなった。
だが、今私の中で処理できないことは、他者や外部要因からの影響を強く受けてしまうことだ。
私は診断を受けたことはないがおそらくHSPだ。病名としては自律神経失調症という風になっているのはおそらくこれが原因。で、これは性質なので変えられない。
変えられないので仕方がないのだが、自分を保てないほどの外部からの影響は辛い。
そんな話をした。
彼からは、逃げることと自分から入っていくことの2つがあるという話を聞いた。
一般的には、自分が傷つけられると思ったら、とにかく逃げる。場から離れる。トイレに行くというのでもいいとのことだ。
これは、実は実行している。もう3年位かな。
そういえばこの話も、この方から聞いたのではなかったかなと思いだす。
「実は」と私は切り出した。
どうにかしたい問題があった。
「私は、大きな声や罵声、人が苦しむ声を聞くのがものすごく耐えられないんです。
だからそういうのにあうと逃げるようにしているんです。
でも、逃げられないこともあるんです。
うちの夫は持病でものすごく苦しむことがあって、その苦しみ方が酷いんです。
でも私が何をしても治るものでもないから、発作が始まると
ああまた始まったなと思って、できるだけ聞こえないところに行ったりもするんですが。
先日は、始まったので別の部屋に移動しようと部屋を出たとたんにもっとひどくなって、介抱しないといけなくなったんです。逃げられないんです。」
本人も大変なのはわかっているけど、私の自律神経もやられてしまって、その夜眠れなかったりするのだ。本人はスース―寝ていたりするのに。睡眠導入剤を飲んでも効かないことがあって、参った。
(ついでにいうと、誰かの文句を言ったり、人を否定する言葉を書く人も苦手だ。だから最近のSNSは流してみるようにしている。)
私の話をじっと聞いて、彼はもう一つの方法を解説してくれた。そしていくつかの手法を教えてくれた。
ここではそれは割愛する。
なんだかんだと話をしているうちに、
不意に彼が「チャクラというものがあってね」と言い出した。
冒頭に書いた通り。
彼は、科学バリバリの世界に生きている人なので、
その言葉が彼の口から出てくること自体に驚いた。
彼は、私がスピ系についてある程度知識があることは知らないので説明をしてくれる。
そして私の顔をじっと見て、そして目をつむり、「えーっとね」といいながら、
「第七チャクラが閉じてるかな」という。
えええ!
わかるの?
オーリングでためしてみることに。
(オーリングについても説明されたけど、知っていた😊 されるのは久しぶり。)
オーリングも意識的な影響もあるとも言われているけれどね。
チャクラを確認するオーリングテストは、部位によってひらく、離れるは逆の意味になるらしい。だからほんとにわかっている人しかできないと思われる。
自分としては、詰まってるとしたら胸の第4チャクラか喉の第5チャクラくらいかなと思っていたら、まさかの第7チャクラ(脳天)。一つ一つのチャクラをオーリングで確認していったが、そうだった。
紫の服を着ていきたくなった理由がわかった気がした。
(その日は赤のニットでいくつもりが、どうしても紫がしっくりくるので変えたのだった)
第7チャクラの色は紫なのです。
後付けではあるけれど、
周りにいろんなエネルギーがあることはわかっていたのに取り込めない、繋がれないというのが、私のじれじれした思いとしてあった。
「どうすればいいのかわからない」というのが私の口癖にもなっているのだけど、
私は、頭で考えてもわからないことは、方法がわかれば解決することが往々にしてある、と思っている
蛇口があってもどう出せばいいのかわからなければ水は飲めない。
でも、蛇口のひねり方がわかれば水が出る。
あとは口を蛇口に近づけるとか、手ですくうとかコップで受けるとか、その後の方法論でを選べばよいが、まずは水を出す方法を知らねばのぞみは達成できない。
私には力があるし、周りにも助けはある。でもそれを自分の体をしてどう取り込めば、それらを活用していけるのか、まったくわからなかった。
そんなことをふと思い出しながら、
とはいえこれからどうしたら、、と思っていたら、
「あけてあげましょう」と言われた。
おお!
私は、目を見開いた。それを同意としたのだろう彼は
「じゃ、目を閉じてね」といい、5秒くらいだったろうか。
「はい。終わりました」という声で目をあけた。
何も感じないし、なにがなされたのかもわからないけど、
私の第7チャクラはこうして開いたのだった。
ほお。すべてあいたのか~。嬉しい。
というのが率直な感情。
他者から開いてもらえるものなのか~と驚いたのもひとつ。
ただこれは信頼している方だから、OKでもあった。
自力じゃできないこと(だと私が思い込んでいた)だったから。
彼はにっこり笑って「お年玉です」といった。
いつでも、誰にでもできるものでもない。
前のあなたなら理解できなかったと思うけど、
今のあなたはいろんなことがわかってきた。だからできた、
みたいなことを言われていた。
これが、本当のことなのかどうなのかは正直わからない。
でも、ほっとした。
やっとここまで来たという気持ち。
あと一押しを押してもらえたという気持ち。
一人で頑張り方がわからずにいた私に、
ほんとにお年玉をいただけたな💗という気がした。
無邪気な子供のような感覚で、
「おじちゃん、あたまなでてくれてありがと」みたいな感じ笑
頭は撫でられてないけどね。
このことは内緒の話。
でも忘れたくないので、文章にしてみた。
わたしのことも、彼のことも、
きっと誰にもリアルにはわからないと思うけど、
もしわかってしまったとしたら、ないしょにしておいてね。
ここに書く話は、ないしょのはなし。