しあわせな音
ベッドに寝転んでいるときに、キッチンから聞こえる野菜をトントンと切る音
たまに「ねぇ、これってどのくらい入れればいい?」ってヘルプを求めてくる声
ご飯が炊き上がってくるコポコポいう音と匂い
「ご飯よー」
という声
なんてしあわせなのだろうか。
音や香りを伝えてくれる空気に、うっすら色がついているみたいだ。
しあわせな音、しあわせな色。
沁みてくるものたち。
言葉
「洗濯してくれたんだね」
という一言が、思いがけず嬉しい
言葉
「洗濯してくれたんだね」
という一言が、思いがけず嬉しい
さばくさらかし岩
あるところの崖の上に
今にも落ちそうに鎮座している大きな岩がある。
ちょうど道すがらなので、
その道を通る人はいつも見上げてしまう。
その岩には、名前にちなんだ逸話がある。
昔、魚の行商人が通りかかり、いつ落ちてくるんだろうとずーっと見ていたら、持っていた鯖が腐れちゃったよというお話し。
だから、その岩の名前は「さばくさらかし岩」というのだ。
そのまんまなのだけど、この名前を聞いてしまうと他の名前は浮かばない。
一度聞くと忘れられない強烈な印象。
語感も独特。さばくさらかし岩。
古の人々はどんな思いであの風景を観てきたのだろう。そしてその名前をどんな思いで呼んでいたのだろう。
後世、こんなに離れた土地に居るのに、その名前をふと思い出す人がいるなんて思わなかったのだろうに。
ネーミングというのは本当に絶妙で面白い。
これが違う名前なら思い出したりしないと思う。さばくさらかし岩。
ほんとにたまにふと思い出し、心の中でくすっと笑ってしまうのだ。
※検索したら出てきます、きっと。
落ちないようにがっつり固定されているらしい。そりゃそうですよね。
ディモルホセカ
毎日歩く道すがら、
はじめてであった花があった。
お日様に向かって花びらをいっぱいに広げる小さな花たち。
「なんという花だろう」
表示にあったのは「ディモルホセカ」。
カタカナに弱い私は、
一回では覚えられない。
次の日、また同じ道を歩き、その花にあった。
「なんてなまえだったっけ?」
また表示を見る。「ディモルホセカ」
口の中で、呪文のように唱えてみる。
3日目、4日目と日が経つにつれて、
「ディ・・・」
「ディモル・・・」
少しずつ、花の名前は私の中に浸透していった。
そしてその道を通らなくなってからも、
私はあの花と花の名前を憶えていられるようになった。
ディモルホセカ。
毎年、この季節になると思い出す。
なぜあの花の名前を憶えたかったのか。
わからない。
わからないけど、
運命的な出会いだった。
もう30年以上前の事なのに。
あの日の道、あの日の日のまぶしさ、明るさを思い出す。
あの瞬間と名前を覚えた日々がなければ、
今の私はないのだから。
愛おしい花、愛おしい日々。
そんな出会いたちで、今の私は創られている。
あさがお
あさがおの芽が土からひょっこり顔を出す。
殻をつけたまますいっと頭を上にもたげる
頭が持ち上がらなくてアーチになってるのもいる
あさがおだって、それぞれだ。
いわんや人をして。
発芽したら後はどうにでも
なるようになる
在るようになる